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海外旅行を楽しむためには、もちろん観光地の見どころや宿泊施設、航空チケットについての情報も大切ですが、From VALVANEでは何より「安全であること」が大切であると考えています。 トルコ、カボチャの種取りを手伝う姉弟。安心出来てこそ、旅は楽しめるものですからね。そしてその上で、「その国、その地域の歴史や文化、習慣について」もっと理解を深めることが出来たら…。旅はもっと楽しくなると思いませんか?
そのためにFrom VALVANEでは、旅行先の安全性やお国柄などが良く現れていると思われるニュースを中心に、ピックアップしていきます。

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・ Wikipedia「バクラヴァ」にて、紹介されています。
・ カナダ、バンクーバーの日本語情報雑誌「Oops!」にて、紹介されました。
  http://www.oopsweb.com/2007/focus/new/1b1.htm (ウェブ版)

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オーストラリアの流刑囚リスト、オンライン公開
オーストラリア人って…?

英Ancestry.co.ukは7月25日、囚人としてオーストラリアへ島流しにされた人々の記録「Convict Transportation Registers: 1788-1868」を、オンラインで公開すると発表しました。英国立公文書館に原本が収められているこの記録には、18~19世紀に囚人としてオーストラリアへ送られた16万3021人)のうち、大半の人々の氏名の他、有罪判決を受けた日付と場所、刑期、船名、出発日と送られた植民地名、職業、配偶者の有無、宗教から釈放日に至るまでの詳細が記載されているとのことです。


囚人としてオーストラリアへ島流しにされた人々の記録「Convict Transportation Registers: 1788-1868」を、オンラインで公開


…って、こんなことを公開して良いのでしょうか? 200年ほども昔のこととは言え、その16万3021人には、今もオーストラリアなり、イギリスなりで生活している子孫がいる人だっているのでは…?  と思ったら、公開元のAncestry.co.ukは既に、イギリス人200万人以上の祖先がこの「島流しリスト」に記載されていると推測していて、つまりイギリス人の30人に1人がリストに掲載された祖先を持つ計算になるとのことです(現オーストラリア人の何%が載っていることになるのかは、不明)。そして、その子孫らの「気持ち」については、

南オーストラリア州を除いて、オーストラリア諸州は全て、流刑囚の労働力で建設された。流刑囚の移送は1868年まで続き、全部で約16万人が送り込まれた。その後一家に囚人の血が流れていることを恥じる時代が続いたが、現在ではむしろ「誇り」とされている。囚人としてであれ、看守としてであれ、第1回囚人移民船団でオーストラリアへ渡ってきた先祖を持つということは、メイフラワー号でボストンへ上陸した祖先を持つことに等しい名誉となったのだ。

『THE NATIONAL GEOGRAPHIC TRAVELER オーストラリア』 より

…だそうです。ちょっと驚きですが。しかしこれも、その流刑と言うか、強制移民させられた人々の実態を知れば、なるほどと思うはずです。

オーストラリア流刑囚をデザインしたトランプオーストラリア原住民と言えばアボリジニーですが、アボリジニーの人口比率は、全体のわずか2%程度に過ぎず、90%がヨーロッパ系、そして残りの8%がアジア系です。つまり、98%が移民。そんな移民の国、オーストラリアですが、入植が始まったのは1788年1月18日のことでした。この日、男女合計778名の囚人と後の初代ニュー・サウス・ウェールズ州総督、アーサー・フィリップが率いる250名の兵士と行政官を乗せた11隻の船が、ボタニー湾に到着したのです。ただし、ボタニー湾は入植地には向かなかったようで、そのまま北上すること20km。代わりに見つけた入り江を「シドニー湾」と名付けたのが1月26日で、オーストラリアの建国の日に相当する「オーストラリア・デー」という祝日になりました。

それまでイギリスは、国内の刑務所に収容しきれない囚人を、当時植民地であったアメリカのジョージア州、バージニア州、カロライナ州に送り込んでいたのですが、1776年7月4日にアメリカが独立を宣言、囚人を送り込めなくなりました。そのため、国内の刑務所は囚人であふれかえり、イギリスは遥か地球の裏側にまで、囚人を移送することにしたのです。もちろんこれは、金がかかりすぎると反対されましたが、それは勢力圏の拡大競争に明け暮れていた時代のこと。フランスが太平洋地域に多大な関心を持っていると聞けば、イギリス政府も動かざるを得ませんでした。オーストラリア流刑囚をデザインしたトランプ

こうして「あふれた囚人」たちは船倉に鎖でつながれたまま、食料や燃料補給のための入港期間2ヶ月を含め、8ヶ月間の航海を経てオーストラリアに移送されたのですが、実はこれら流刑囚の大半(83%)は、貧しさゆえに窃盗などの軽犯罪を犯してしまった若者たちでした。そう、現代日本であれば、流刑どころか、「少年法」の対象として「保護」される年齢、犯罪内容だったのです。それなのに…、未開のオーストラリアで彼らを待ち受けていたのは、足かせを付けられ、鞭で打たれながら働かされる、過酷な強制労働の日々だったのです。

これがオーストラリア移民の始まりで、この後にゴールドラッシュや農地開拓を夢見る人々が続き、白豪主義の時代と第二次世界大戦後の移民受け入れを経て、現在のオーストラリア(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドなどイギリス系住民が70%弱、その他ヨーロッパ系18.2%、アジア系6.5%、中東系2.5%、アボリジニ(混血を含む)1.5%、太平洋諸国0.5%など、1999年調べ)が作られました。 


see also・・
最期は「アイルランドの土」に埋めて…

オーストラリアの流刑囚リスト、オンライン公開
英Ancestry.co.ukは、囚人としてオーストラリアへ島流しにされ
た人々の記録を、オンラインで公開すると発表した。
www.itmedia.co.jp
2007.08.04 | 01:59 | 世界のちょいネタニュース | Comment (2) Trackback (0)
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コメント
ご先祖が島流し!!
すごいですね~
でもオーストラリアってもともとそういう場所だったんですよね。
新天地って感覚になるには時間がかかったみたいですね。
日本の島流しといえば隠岐かな。
by:unam | URL | 2007.08.04 14:54 [編集] |
unamさんへ
島流しは島流しでも、隠岐は別格ですね。あそこに流されたのは、平民じゃないですし。私にすぐ思い浮かんだのは、佐渡島ですね~。
あ、でもWiki見てみたら、けっこういっぱいあったんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E5%88%91

オーストラリア旅行では、この下の方で挙げられているタスマニアに行ってきたんですが、ちゃんと「そういうところ」にも行ってきましたよ~!i-229
by:valvane | URL | 2007.08.04 23:02 [編集] |














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